清潔感の正体
デート当日、まず準備したのはヘアスタイリングの練習である。
この時に生まれて初めて髪型を自分で整えた。
25歳6月、ヘアスタイリング童貞卒業であった。
これを言うと皆が驚愕し嘘をつくなとツッコまれる。
疑われるほどヤバい次元に居たことに俺は益々危機感を募ることとなった。
俺は変わらねばならない。進化せねばらない。
変化するにつれてよりいっそう感じる。
ヘアスタイリングはyoutubeのやり方を真似たがまるでしっくりこなかった。
不器用などというレベルではない。
俺は"カッコイイ髪型"がわからなかったのだ。
いくら試そうとどれくらいお洒落に近づいてるかわからなかった。
お洒落遭難である。
しかもただの遭難と違い、目的地に辿り着いても、つまりは偶然カッコイイ髪型になってもわからないのである。
持っていない感性をもとに髪型を整えるなど不可能。
俺はすぐさま友人に電話し髪型の指導を受けた。
キーワードはナナメだという。ナナメに立たせればそれっぽくなるらしい。
ナナメのみを意識し髪型を作っては写メを送り、精査してアドバイスを貰う事1時間。20近い写メを送った後ようやく合格が出る。
確かに髪型は変わった。
だが今の俺はカッコよくなってるのだろうか?
友人からの返答に俺は耳を疑った。
髪型を整えるとは、ヘアスタイリング剤を使い髪型を整えてると伝われば良くてカッコイイかどうかはさほど重要ではないという。
この話を聞いたとき全身を電流が突き抜け、俺はしばらくの間放心状態になり、呆然と髪をいじくりまわしていた。
髪型は必ずしも、点数を稼ぐ必要はなくマイナスでさえなければ良い。
これがいわゆる”清潔感”の正体である。
ワックスを使って髪型を整える行為は、お洒落ではなく清潔感を出すためだった。
文字通り清潔感は清潔かどうかの事実ではなく”清潔そう”かどうかで、
俺達はワックスを使って髪型を整えてるくらいだし、とっくに清潔にしてるぜという信号を発信していたのである。
※お洒落してるなら既に清潔という前提が暗に共有されている
「清潔感を出す」とは、ピラミッドの上の段を見せることでとっくに下の段はできていると醸し出すことだった。
俺に清潔感と言う概念がインストールされた瞬間である。
確かに、既にお洒落して加点を狙ってるならば、減点対象になる不潔は当然取り除いてるだろうという推測はかなり合理的だ。
※自然の推測である
髪型がおかしい→不潔かもしれない→近づかんとこ
こうなっては実際は清潔であってもどうしようもない。
清潔感とはもしかしたら清潔かどうかの事実より大事かもしれない。